橋本清春先輩と「とりえい」で飲む

先の関東支部総会では、橋本清春先輩の貴重な体験談、特に「霞が関ビル」建設の話を写真を観ながら講演して頂きました。

 

去る23日、森岡薫(A37)の尽力で、総会で利用した、写真スライド、このホームページで連載した「橋本清春先輩の回想録」などの資料をお返しすることを一番の名目にして、先輩との一席を設けました。

 

かの長嶋茂雄氏も懇意にしている田園調布駅前の「とりえい」で、おいしい焼き鳥とビールで話が盛り上がりました。

 

特に、1950年、橋本先輩が青森県の三沢基地で工事をされたときのエピソードは、非常に感極まるものがあります。

 

鹿島建設の古い時代の「仙台の2000万円事件」というもので、「三沢基地工事」の入札の際に、担当者が見積書の表紙に和式数字で書く時に、一億2000万円と書くところを一億200万円と書き間違えて、大失敗をしたとのことです。

そのため、鹿島建設の仙台所長と橋本先輩は、三沢基地の工事中、馬小屋での生活を余儀なくされたとのことです。しかし、いくら馬小屋で寝起きをしても2000万円を捻出することは不可能でした。

 

また、ちょうどこのころ、ご尊父が、島根県の那賀郡で勤務しておられた小学校に橋本先輩の花嫁候補(橋本先輩の奥様、松川村出身)大変相応しい方がいるということで、お見合いの話が盛り上がりました。

先輩は、当時、馬小屋で生活している身でしたので「本当に困った」と思われたとのことでしたが、無事、ご結婚の運びとなりました。

 

ご結婚後、偉大な先輩の業績には、少なからず奥様の内助の功があったことに間違いはありません。

 

この席には、河野、塚本、勝田、森山そして森岡の各氏が同席しました。